2025年7月22日、『鬼滅の刃 無限城編』の特別映像シリーズ「そして無限城へ」第5弾として、童磨編がついに公開されました。
上弦の弐であり、胡蝶しのぶの宿敵──その存在は、戦闘力の強さ以上に、「心がない」という狂気的な本質で多くのファンを震わせてきました。
今回の映像では、しのぶとの直接的な戦闘シーンや人間時代の描写はありません。それでもなぜか、彼女の気配が残る構成となっており、SNS上でも「しのぶの“気配”が辛い」「猗窩座との対比が深すぎる」と話題になっています。
本記事では、この映像を深掘りしながら、童磨の“虚無”と“恐怖”の本質を考察していきます。
❄️「猗窩座殿」──鬼たちの関係性が初めて描かれた一瞬
今回のPV最大の注目ポイントは、冒頭で童磨が語るこの一言:
「ちょっと待っておくれよ、猗窩座殿」
ここで初めて、鬼同士の人間関係が“公式に”描写されたと言っても過言ではありません。
今までの『鬼滅の刃』では、鬼たちは基本的に「無惨様と個々の部下」という縦の関係しか描かれていませんでした。しかし、童磨は猗窩座を“殿”と敬称付きで呼び、さらにその後こう続けます。
「本当に怒って帰っちゃった……つれないなあ」
まるで親しげに話しかけているようで、でもその感情は限りなく空っぽ。ここに童磨というキャラクターの“無感情の恐ろしさ”が浮かび上がります。
📝注目ポイント
- 猗窩座への呼びかけが異様に丁寧だが、感情はない
- 空気を読まず飄々としている姿に「狂気」が滲む
- あえて猗窩座との対比で「人間性のなさ」が浮かび上がる
🦋しのぶの戦闘シーンは出てこない──それでも感じる“因縁”の残響
今回の映像には、最後の方で胡蝶しのぶ本人が決意を込めた表情で登場。直接の戦闘シーンはないものの、あの最終局面を知るファンなら、自然としのぶの存在が脳裏をよぎったはずです。
というのも、映像中には童磨の「無表情な笑み」や「胡蝶のような演出」がちりばめられ、しのぶとの最終決戦を意識したような編集がなされているのです。
さらに、映像のラストでの「いーい夜だねぇー」の言い方が何ともたまりませんね。
🎭無限城編の中でも異質な存在──童磨の“何もなさ”を描いた映像
これまでの「そして無限城へ」シリーズは、炭治郎、善逸、しのぶ、猗窩座…それぞれの“怒り”“悲しみ”“覚悟”が丁寧に描かれてきました。
ところが童磨編だけは、そのどれもが感じられない“空白”に満ちています。
彼は悲しみもしない。怒りもしない。愛もしない。でも、そこにあるのは「不気味なほど綺麗な笑顔」だけ。
それが、むしろ観る側に一番の恐怖を植え付けます。
📝特徴的なポイント
- 感情の欠如そのものが“恐怖”になる演出
- 色彩や構図が美しく、だからこそ狂気が際立つ
- 全5編の中でも最も“無音が怖い”作品
🔥猗窩座との対比で際立つ“空虚”
猗窩座編では、「強さとは何か」という問いに取り憑かれた男の悲しみが滲んでいました。彼は怒り、苛立ち、そして人間の記憶を失ってもなお“何か”に苦しんでいました。
一方、童磨は…その“苦しみ”さえない。
猗窩座は「過去」に縛られていたけど、童磨にはそれすらありません。この“空虚 vs 苦悩”の対比は、2人を連続で観た時に強烈に浮かび上がってきます。
💬SNSでも注目
- 「猗窩座は“人間だった頃の痛み”が残ってるけど、童磨は最初から“鬼みたい”で怖い」
- 「猗窩座の苦しみがわかった後に童磨観ると、逆に“何も感じてないやつ”の異常性がわかる」
🎬まとめ:静かな恐怖がここにある。童磨編は“感じさせる”映像
『そして無限城へ ~童磨編~』は、セリフが少なく、人間ドラマの回想もほとんどありません。
それなのに──こんなにも怖い。こんなにも深い。
童磨というキャラクターの“本当の恐ろしさ”は、彼が何をしたかではなく、「何を感じなかったか」にこそあるのかもしれません。
しのぶ編で見えた“優しさの裏の怒り”と、童磨編で見える“笑顔の裏の空虚”──この二つが交差する瞬間を、私たちは劇場で目撃することになります。